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その一滴を、愛おしんで 時空を越えたマリアージュ 原田 旬 PART-1

原田 旬(はらだひとし)、57歳。数年前までは精密機器メーカーの営業マンとして、海外で半導体を売り歩いていた。それが、現在は山梨県の勝沼地区にある農園でブドウを栽培し、川崎市多摩区にある自宅兼店舗で、自家栽培ブドウ100%のワインを販売している。人生半ばを過ぎてからの転身。それは、時空を越えた偶然が重なり、必然となったゆえのこと。煌めく黄金の一滴に、先人への思い、家族への愛、そして原田自身の人生が映し出されている。

◆日本ワイン発祥の農園
2月の殺風景なブドウ農園に、原田はひとり佇んでいた。視線は、無秩序に植わっているブドウの木の枝の行末を追っている。迷路のように入り組んだツル。原田は新芽の位置を確認しながら、剪定すべき箇所を探っている。60年超えの古木は頼りなげだが、その根は地下20、30メートルにまで達し、地底深いところからミネラル分を吸い上げている。その勢いを生かすも殺すも、オフシーズンであるこの時期のツルの剪定にかかっている。

「前田龍珠園(まえだりゅうしゅえん)」というのが、この農園の名前だ。“前田”は原田の妻、文(あや)の旧姓。この農園は、文の祖父が、近所に在住していた土屋龍憲のご子息から譲り受けたものだという。

この土屋龍憲という人物、実は日本ワイン史を語る上ではずせないキーパーソンだ。明治10年、土屋は同じく勝沼出身の高野正誠と共にフランスに留学した。土屋はブドウの栽培法からワイン醸造のノウハウまでを習得し、帰国後、この勝沼の地で本格的なワインづくりを始めた。今日の日本ワイン醸造の基礎は、土屋、高野、両氏が築き上げたといえる。その土屋が所有していたブドウ農園こそ、現在、原田夫妻が受け継いでいる畑。つまり、「前田龍珠園」は、“本格的な日本ワイン発祥の地”といえるのだ。

◆「ブドウの木を切るのはいやだ!」
2012年、文の父、つまり原田の義父が突然倒れ、病床に臥した。父は勝沼で高校教師をしながら、親から引き継いだ「前田龍珠園」でブドウ栽培をしていた。専門が応用微生物であったことから、土づくりには特にこだわっていた。

文は子どもの頃、ブドウ農園で作業をする父の傍らでよく遊んでいた。大学進学時に実家を離れ、のちに原田と結婚。家庭を持ってからも、夏休みや収穫の忙しい時期は息子たちを連れて実家に帰り、畑仕事を手伝っていた。その父が動けなくなった。母はすでに他界している。これから「前田龍珠園」をどうすればいいのか。

ブドウの木は意外と弱く、手入れをしないとすぐ病気にかかってしまう。自分の農園がダメになるだけではなく、周囲の農園にまで病気を蔓延させてしまうため、放置することはできない。誰かが引き継いでブドウの世話をするか、すべてを伐採するかの二者択一だった。そこで手を挙げたのが、当時大学生だった原田の次男、達彦だった。

「おじいちゃんが大事に育てていたブドウの木を切るのはいやだよ。失敗してもいいなら、僕がなんとかやってみる」

子どもの頃から、おじいちゃん子で、自然が大好きだった達彦は、週末になると友人を引き連れて勝沼に向かい、ブドウの手入れに励んだ。2シーズンほど頑張ったが、大学6年に進級した時、さすがに勉強との両立が難しくなった。達彦は獣医学部の学生だったため、国家試験の準備をしなくてはならなかったのだ。さて、どうするか。いよいよ、代々続いてきた由緒ある農園をつぶすしかないのか―。

◆ナパ・バレー「グレース・ファミリー」での体験
50代。原田は人生の折り返し地点を過ぎ、今後、どういう人生を歩んでいくべきか、自問していた。自分にとって一番大切なことはなんだろう、と。これまでは営業マンとして、工場で大量生産された硬く無機質な半導体を売ることに時間を費やしてきた。満員電車に乗り、連日の残業。出張も多く、海外転勤も二度ほど経験した。充実感はあったが、ただがむしゃらに働く日々。家族と過ごす時間も少なかった。

たとえば、「前田龍珠園」を妻と共に守っていくとすると、どういう生活になるのだろう。原田は目をつぶり、想像してみた。太陽の下で自然を相手にして働く。有機的な土をいじり、採算を考えずに少量のブドウをつくる。それは、無機質な半導体で勝負していた営業マン時代とは、正反対の生活だ。

その時、原田は米国カリフォルニア州のナパ・バレーでの体験を思い出した。香港駐在時に知り合ったクライアントに同行して、ワイナリー巡りをした。最高級ワインとして名高い「グレース・ファミリー」のワインも試飲させてもらった。翌日は、チャリティー・オークションに参加。すると、前日試飲した「グレース・ファミリー」のワインが、なんと10本で2000万円近くの値で落札されたのだ。「昨日試飲したワインは、一体いくら相当になるのだろう。残して捨てた分だけでも何万円…?」。原田はその値段を聞いて度肝を抜かれた。だが、それ以上に心に残ったのは、ワインに伴う成熟した大人の文化だった。

「グレース・ファミリー」ワインの農園主、ディック・グレースは、元証券マンだったという。多忙な生活で疲労困憊し、穏やかな暮らしを求めて、カリフォルニアのナパに転居した。畑付きの家だったので、ブドウの木を植えた。そのブドウからできたワインが、驚くほどのおいしさだった。何の野望があったわけでもなかったが、世界中の愛好家が夢にまでみる「グレース・ファミリー」のワインは、偶然の産物だったのだ。

もちろん、原田は、ディック・グレースと自分を重ね合わせたわけではない。だが、かつて垣間見たワインが繰り広げる文化、世界最高級ワインの味が、原田の心にずっと残っていた。自分がつくったブドウで、自分好みのワインをつくる。そのワインを、家族や仲間たちと語り合いながら味わう。そんな生き方も、素敵ではないか!

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