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偉大なる海と父に生き方を学んだ 【阿部 晃也 PART-1】

奥松島水産3代目・阿部晃也は、プリップリの実入りのよい甘い牡蠣をつくり出す。牡蠣の味は自然環境に左右されるだけでなく、そのつくり手により違いが出るのだ。子どもの頃からやんちゃだった晃也が、ある日、海と父親の偉大さに気付き、一人前の牡蠣漁師になる決意をする。種牡蠣を日本全国に卸していることでも有名な宮城県奥松島。東日本大震災で壊滅状態だった漁場から、晃也は種を拾い集めて牡蠣棚を復活させた。「俺の牡蠣は日本一うまい」と豪語する晃也は、今日も海に出る。

◆牡蠣の水揚げは90分ノンストップの真剣勝負

早朝に出港。モヤで視界は悪いが、朝焼けにうっすらと島々のシルエットが浮かぶ。静かな海にエンジン音を響かせ、船は東へ向かう。松島湾から外海に出るとうねりが大きくなった。ほどなくして牡蠣棚ポイントに到着。阿部晃也を含む男3人、“チーム晃也”の真剣勝負がここから始まる。

浮きを引き上げ、牡蠣がぎっしりと絡み付いたロープを電動巻き上げ機に這わせる。スイッチが入ると、そこからノンストップで水揚げ作業が始まる。3人がそれぞれの配置で手際よく動く。一瞬のズレも許されない連携プレー。油断すると巻き上げ機に手を持っていかれる。ロープから剥がされた牡蠣がリズミカルにカゴに収まっていく。狭い漁船の甲板に牡蠣で満杯のカゴが積み上がる。男たちは無言でひたすら動く。90分ほどして、やっと船上の張り詰めた空気が緩んだ。どうやら水揚げ作業は終わったらしい。

◆「食べますか? 名刺代わりです」

声をかけるのもはばかられるほど集中して作業していた晃也が、船側から近づいてきた。「食べますか? 名刺代わりです」と殻を剥いた牡蠣を差し出した。とれたてのフレッシュな生牡蠣。殻全体にミルク色の牡蠣が広がっている。ツルッと食べてみると、ほんわりと甘いおいしさが口内に広がる。牡蠣の味にも個性があるようだ。なるほど、これが晃也の牡蠣の味。

港に戻る。この日の水揚げ量は3トンほど。フォークリフトで引き上げられた牡蠣のカゴが処理場に運ばれ、そこから選別に入る。大きいものは贈答用と飲食店用。規格外のものは宮城県内の牡蠣小屋など。そのほかはむき身で出荷する。

奥松島水産の牡蠣は、種から育って一年で出荷される。ほかの県では成長するまでに2、3年かかるそうだが、この地の牡蠣は全国でも珍しい“ 一年モノ ”だ。その理由は、奥羽山脈から流れ出る鳴瀬川、吉田川が、豊富な森の栄養を海に届けるため、牡蠣の成長が早いことによる。海水と淡水が混ざりあう汽水域であるため塩分濃度が低く、甘くて口当たりのよい牡蠣ができ上がるのだ。

◆「親父が漁師だってのが恥ずかしかった」

阿部晃也は3人兄弟の末っ子として生まれた。祖父の代から漁師。子どもの頃からずっと海を眺め、海を遊び場として育った。幼い頃、牡蠣剥き場で遊んでいると、そこで働くおばちゃんたちが口に牡蠣を入れてくれた。海と牡蠣、そして家族は、晃也にとって常に身近な存在だった。

だが、思春期を迎えると晃也の気持ちは変化した。「中学生の頃、親父が漁師だってのが恥ずかしくなったんです。なぜか変なコンプレックスがありましたね」と。10代になると誰もが経験する自我の芽生えによるものだろう。幼い頃から当然のように身近にあった海と父親が、絶対の存在ではなくなってきたのだ。次第に海から目を背けるようになった。当然、将来の夢として「漁師になる」という選択肢はなく、食べることが好きだから飲食店をやるのもいいかな、と漠然と考えていた。

中学卒業後は、サッカーの強豪校である仙台育英高校に入学。
「俺、頭悪かったからサッカーしかやることなくて。サッカー部に入ったけど、同学年に100人以上部員がいました。でもトラブル起こしてすぐクビになっちゃいましたよ」
笑いながらそういった。

◆「悪いことは全部やってきました」

「俺はやんちゃで、どうしようもなかったですね。世間一般でいう悪いことは全部やってきました」
とはいえ、成長すると共に父親のことを客観的に見られるようになってきた。
「普通にスパイクとか買ってもらえて、何不自由なく暮らせるのってすごい、とまずは気付きましたよ」
それと同時に、幼い頃から親しんできた海にも再び目を向けるようになった。

ある日、地元の店で仲間と話し込んでいたとき、その店のママさんから思いがけない言葉を聞いた。「お父さん、後継ぐのは晃也だっていってたわよ」と。 まるで期待もされてないと思っていた父親が、心の中でそんなことを考えていたのか。その日をきっかけに、晃也は「牡蠣漁師も悪くないな」と考えはじめるようになった。

「19歳の時、親父に頭下げて、『継がせてください』と頼みました。でも、ダメだといわれた。ダメの理由がよくわからなかったけど、何回も『そろそろ、どうですか?』と聞いてみました。何度もダメといわれたけど、やっとある日、『明日、朝5時だ』みたいにいわれて。それからですね」

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