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コラム  樋口直哉 「おいしいものには理由がある 番外編」

第3回『蜜入り紅玉』

11月上旬、長野県伊那市にある佐藤浩信さんの果樹園を訪れた。まずは事務所兼自宅でシーズンが終わりに近づいた紅玉リンゴを試食させてもらった。
「みなさん皮を剥くのが面倒だから、リンゴなんて食べないでしょう」
佐藤さんは苦笑するが、そのリンゴを口に運ぶと爽やかな酸味があった。もう果物の甘みを追求し、糖度を競う時代は終わった、というのが佐藤さんの持論である。紅玉は比較的酸味の強い品種だ。昔は人気があったが、年中出荷できないことから希少な品種になってしまった。
「需要が一番あるのは5月から6月のリンゴがない季節。不思議なもので人間、ないって言われると食べたくなるもんなんだね。それで栽培されるリンゴはCA貯蔵(1960年代日本に普及にした低温、低酸素濃度の貯蔵庫でリンゴを長期間保存する技術)に向いているふじ系の品種が多くなった」

驚いたのは紅玉にもかかわらず蜜が入っていたことだ。ただ酸っぱいだけではなくて、きちんと甘く、なにより香りが強い。凝縮されたリンゴの風味が噛むと弾ける。この珍しい蜜入り紅玉には果物の匠と呼ばれる佐藤さんの技術が結実している。
佐藤さんは57歳。果樹栽培にとり組んで35年になる。福島県伊達市で育てていた桃やリンゴなどは百貨店や有名果物店で贈答用として取引されていた。2003年には果樹園を伊達水蜜園として法人化。加工品なども手がけるようになる。
大きな転機が起きたのは2011年、東北地方を襲った東日本大震災だ。原発事故による影響を受け、佐藤さんはこの長野県伊那市でも果樹栽培をはじめた。
「こっちに来たのが良かったのか悪かったのか、今でもわからないんだけどね」
そう苦笑する佐藤さんは現在、福島、長野などを行き来する生活を送っている。

事務所を後にして、果樹園を案内してもらう。山からは冬の訪れを予感させるような冷たい風が吹いている。昼、夜の寒暖差が大きいこの地方は果樹栽培には向いているそうだ。植わっているのはリンゴ、桃、サクランボなど。
「このあたりは外灯がなくて、夜が暗いんです。それは果樹にとってはいいんですよ」
「どういうことですか?」
「果樹も夜は休まなくちゃいけないのに、明るいと休めない。人間と同じです」
なるほど、と僕は頷く。太陽の光と同じように夜の闇も植物の生育には必要、ということだ。リンゴの樹を見せてもらうと、たわわに実った真っ赤なリンゴに目を見張った。果樹と聞けば伸びた枝の先に実がついているイメージがあったが、そのリンゴは幹に近い場所に鈴なりに──大げさにいえばブドウのように実っていたからだ。

「樹が地面から水を吸い上げる導管に近い位置、幹の近くに実をつけさせる」
と佐藤さんは事も無げに言うが、もちろん簡単ではない。鍵を握るのは「剪定」だという。
剪定とは枝を切って、樹木の形を整える作業だ。
「果物は木漏れ日のなかで育つのが一番いいんです。直射日光を当てると糖度も上がりやすく、着色が良くなるので今は主流になっている感じもありますけど、紫外線が強すぎるので日持ちというか、味の劣化が早くなるんですね」

多くの植物は頂芽優勢といって、先端が成長しやすい。その先端の枝を切ることで、側芽に栄養がまわるようになり枝振りがよくなるだけではなく、陽当たりや風通しをよくしたり、根の負荷を下げたりと目的は多岐にわたる。
「あの樹だったら、どこを切る?」
「うーん」そう訊ねられてもなかなか難しい。「あの枝ですかね」
「違う。切るとしたらその隣。そうすると来年にはこっちの枝が動いてくる。剪定は子供と一緒、一年目の枝を切ったらそれが10年、20年先の枝振りにも残るからね」
少なくても3年後を見越して、枝を切っていく。その樹を将来どんな形で育てていくのか。佐藤さんは365日剪定のことを考えているという。
「剪定って教えてもらってできるものなんですか?」
「難しいかもしれないなぁ」
佐藤さんは腕を組む。どうやらある程度、才能の世界らしい。果樹栽培は元々、後継者が育ちにくい商売だ。桃栗3年・・・・・・の言葉通り、果樹は栽培をはじめてから収穫まで時間がかかるうえ、一年に一度しか収穫できないというリスクがある。どうやらそれだけではなく、技術継承の問題もありそうだ。

「リンゴが最近おいしくなくなったように思うんですけど」
僕はこのところ思っていたことを聞いてみた。最近、スーパーマーケットに並んでいるリンゴがおいしくないと感じていたからだ。
「うーん」佐藤さんは考え込む。「その質問に答えるのは難しいけど、わい化栽培が増えた影響はあると思うな」
わい化栽培とは樹を小さく育てる技術だ。作業効率がよく、一本の樹からの収量は下がるが、同じ面積に多くの樹を植えることで全体で多くの収量を得ることができる。欠点は樹の寿命が短くなることだ。
「果物は樹齢が長いほうがやっぱりおいしい実がなる。剪定をちゃんとすれば収量だって多いし、わい化栽培をしなくても高いところに実をつけないようにできるんだけど」
ブドウでもミカンでも樹齢を重ねるごとに収量は減っていく。そのぶん少ない果実や葉に栄養分がいきわたるので、味に凝縮感が出てくるのだ。
「でも自分も昔だったらこんなに大胆に樹の枝を切ることはできなかったかもしれない」
帰り際、佐藤さんがぽつりとこぼした言葉が印象に残った。この枝を切るべきか、残すべきか。選択肢はいつも二つに一つ。剪定にはその人の人生感が表れるのかもしれない。震災を経て実った赤い果実。その凝縮した酸味と甘みは人生の味だ。

伊達水蜜園 グリーンスタイル Webサイト
http://datesuimitsuen.com

<新刊情報>
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価格840円(税別)
2017年12月10日発売

歴史に名を残す長寿の人々の食事からその秘訣を探る

一昔前、二昔前なら老人の生き方には一定のスタイルがあり、誰もが自分の父母や祖父母の時間の過ごし方をロールモデルとして、余生を過ごすだけで事足りた。しかし、人類が歴史上経験したことのない「総長生き時代」を迎え、さらに高齢者を支える社会的な基盤が大きく変化したことで、私たちは新しい老いの生き方を発見していかざるをえなくなった。長寿者の食生活は、老いをどのように生きるべきか、という問題に答えるためのヒントを提示してくれる。

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コツコツと書いていたコラムが新書としてまとまりました。40人あまりの長寿者の食生活を考察し、長寿の秘訣を探りました。お正月休みにちょうどいいサイズの本に仕上がったか、と思います。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

樋口直哉
作家、料理家 1981年生まれ 服部栄養専門学校卒業
2005年「さよなら アメリカ」で群像新人文学賞を受賞し、作家としてデビュー。同作は第133回芥川龍之介賞の候補にもなった。著書に『大人ドロップ』(2014年映画化)『スープの国お姫様』『おいしいものには理由がある』などがある。

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