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Shigeyuki Wada PART2

研ぎ澄まされた味覚

和田が脱サラして「食」の仕事を始めるに至った経緯を聞いてみた。

話は幼少期にまでさかのぼる。

「僕は子どもの頃から食べることが好きでした。常に味に興味はありましたよ。親父が輸入食品などを販売する明治屋の社員だったから、休みの日には家族全員で車に乗って、銀座の明治屋で買い物をして、そのあと外食をする。いい思い出ですね。エビやカニ、サーモンとか、うまいものを食べられる環境でしたね」

「その後、親父は祖父が経営していた冷凍倉庫業を継ぎました。物流ではあるけれど、やはり食品を扱う仕事。食への関心が高い家庭だったわけですよ。当然、僕も食べることが好きになり、料理もよくしていました」

そんな和田が大学進学にあたり選んだ道は、やはり食に関わる分野だった。東京理科大学に入学して、バイオテクノロジーを専攻。しょうゆメーカーと「発酵」の共同研究をしていた。その頃、不幸にも敬愛する父親を病気で亡くした。大学卒業後は、父親の残した会社を受け継ぐ運命にあったが、まずは経験を積むために大手食品メーカーに就職。社内では希望していた食品開発ではなく物流部門に配属されたものの、味覚に鋭敏なメンバーで構成される“味覚評価委員(社内官能検査のパネル)”に選出された。開発商品の味を“確かな舌”で評価するのが委員の役目。ちなみに委員選考試験では見事全問正解だったそうだ。幼少期から舌を鍛えられていたゆえだろう。和田の味覚感度の鋭さは食品業界のお墨付きというわけだ。

どん底に突き落とされて

そんな和田にも転機が訪れる。バブルの崩壊と共に、家業の冷凍倉庫会社が経営難に陥った。これまでさんざん融資を勧めてきた銀行が、貸し渋り・貸し剥がしを始めてきた。気付くと、会社の負債は数十億円にまで膨らんでいた。

和田は、家業を継ぐために食品メーカーを退職。事業の再建に奔走する日々が始まった。

「30歳くらいで家業を受け継ぎましたよ。その頃は毎日資金繰りのことで頭がいっぱい。“食”に対する自分の夢など消えました。頭の中は、この会社をどうしたら続けられるだろうということだけ。銀行とか世の中の仕組みがよくわかりました。まさに“半沢直樹”の世界だったね」

抜け道が見えない暗い迷路をさまようような日々が続いた

38歳の時、父親が残した冷凍倉庫業の仕事には見切りを付けて、商社に再就職。再びサラリーマン生活を始めた。重荷からは解放されたものの、“食に関わる仕事をしたい”という子どもの頃からの熱き思いはどうしても断ち切れない。しばらくは生活のために耐えて勤めていたが、45歳の時に退職。新たな世界に足を踏み出す決意をした。

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